「盆踊り」といえば夏祭りの風景として誰もが知っているが、その起源は平安時代にまで遡る。仏教の儀式から生まれ、江戸時代に娯楽として花開き、明治・戦前に一度衰退し、戦後に復活を遂げた盆踊りの1000年の歴史を解説する。
盆踊りの直接の源流は、平安時代末期に空也上人(903〜972年)が始めたとされる「空也踊り念仏」にある。空也は「南無阿弥陀仏」を唱えながら踊ることで民衆に念仏を広め、「市の聖(ひじり)」と呼ばれた。
その後、鎌倉時代に一遍上人(1239〜1289年)が「踊り念仏」を全国に広めた。一遍の踊り念仏は熱狂的で、庶民が太鼓のリズムに乗って集団で踊り念仏を唱えるスタイルだった。これが後の盆踊りの原型となる。
「盆踊り」という言葉自体は室町時代(1336〜1573年)以降の文献に登場するようになる。お盆の時期に先祖の霊を迎え、ともに踊り、送り出す行事として定着し始めた。
室町時代から戦国時代にかけて、盆踊りは大きな社会問題となった。夜間に男女が集まって踊るため、「風紀を乱す」として各地で禁止令が出された。江戸初期には幕府が「浮かれ踊り禁止令」を発布したが、それでも庶民の間で秘密裏に続けられた。
禁止されながらも盆踊りが消えなかったのは、それが単なる娯楽を超えた「先祖供養の場」だったからだ。仏事としての性格が人々の盆踊りへの思いを支え続けた。
江戸中期から後期にかけて、盆踊りは庶民の一大娯楽となった。幕府の規制が緩む夏の季節に、江戸・大坂・京都の三都をはじめ全国各地で盆踊りが催された。
この時代に現在の「輪踊り」スタイルが確立した。中央にやぐら(高台)を設け、その周りを円を描いて踊る形式だ。音楽はお囃子と太鼓。振り付けは地域ごとに独自のスタイルが生まれ、「郡上おどり」(岐阜)「西馬音内盆踊り」(秋田)「阿波おどり」(徳島)などの地域盆踊りが現在に至るまで続く伝統として根付いた。
明治維新以降、西洋文明を取り入れた近代化の流れの中で、盆踊りは「前近代的な風習」として再び抑圧された。1870年(明治3年)には政府が「淫祠邪教」の取締りを強化し、各地の盆踊りが禁止または制限された。
しかし農村部では盆踊りの伝統が生き続け、大正時代には地域の盆踊り復活運動も起きた。1933年に発売された「東京音頭」(作詞:西條八十、作曲:中山晋平)はレコードとして120万枚を売り上げ、近代的な「盆踊り音楽」の先駆けとなった。
太平洋戦争中、盆踊りは各地で自粛された。しかし終戦後、占領下のGHQは「盆踊りは健全な民主主義的娯楽」と評価し、むしろ奨励した。
「炭坑節」が三橋美智也版でレコードとして大ヒット。全国の盆踊りで使われるようになる。
「オバQ音頭」がアニメキャラクター音頭の第1号として発売。アニメ音頭の時代が始まる。
「ドラえもん音頭」「バハマ・ママ」など、子ども向け・ポップス系の音頭が急増。
荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」発売。後に盆踊り曲として定着し、2018年に再ブームを迎える。
2018年には高校生たちの「ダンシング・ヒーロー」盆踊り動画がSNSで拡散し、全国的に話題となった。若い世代が「フェス型盆踊り」「都市型盆踊り」として盆踊りを再発見した時代だ。
現在、おどったーが収集したデータでは全国2,500件以上の盆踊りイベントが毎年開催されており、「東京音頭」「炭坑節」「大東京音頭」が伝統的な定番として君臨しながら、「ダンシング・ヒーロー」「きよしのズンドコ節」などのポップス音頭が人気を二分している。
盆踊り会場の中央に設けられる高台「やぐら」は、もともと先祖の霊を迎えるための「かがり火」を焚く場所だった。やぐらの上では太鼓奏者が演奏し、その音が周囲の踊り手を一体にする。やぐらの存在が「中心を囲む輪踊り」という盆踊りの基本形を生み出した。
最終更新: 2026年9月13日|おどったー編集部